11/20 日常の危機感欠如とは?

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著者: かっぱ

カテゴリー: 雑記

当事者・通報者・傍観者が居たとして、当事者に責がある事象が発生した。

傍観者は、自身に責が無いので、その事柄を傍観するだろうが、尋ねれば色々なことが聞ける。

通報者は、自身に伝えた責が生じるが、責がある事象を当事者へ伝えられる。

当事者は、自身に責があるので、責を減らす努力をしようとする。

これは、よくある社会の光景のように思えるっぱが現実は、

傍観者は、自身に責が無いので、その事柄を傍観するだろうが、尋ねれば色々なことが聞ける。

通報者は、自身に伝えた責が生じるが、責がある事象を当事者へ伝えられる。

当事者は、自身に責があるので、通報者へ責を問い自身の責を免れようとする。

通報者が痛い目を見ることがことさらあるわけっぱ(w・;

第一発見者が犯人だ じゃないっぱがあんまよろしくない話っぱ

 もっとも、通報者は、「自分しか知らないことを伝えようとした」と考えていて、責が生じるか否かは、当事者が判断する問題だが、通報者は、「自身への責」を深く考えすぎて、その責に関わる物事の流れが非常に気にかかるようになったりするものみたいっぱ、おいらなんかも思うっぱが(w・ 自身や責に関わる事にとって知っていることやもっと最善の対処があったとしても、通報者に対して、立場上伝えられないことってのは、良くあると思うっぱが、ぶっちゃけ自身が知っていることでわずらわしいからといって非難したり責を罵り、自身の都合本位で傍観者に問うだけでは、自分の了見の範囲でしか見聞が広がらないだけでなく、自身の責を持つに至った周囲に対して最悪の行いだと断じる。

自身に責をもって物事を伝えられる方ってのは、敬意に値すると思うところっぱがなっかなかいないものっぱよ(笑 そういう方を見かけたらその場で時間が取れなくても、後々その事柄に関して色々と話し合ってみるのも、結果的に実りある話になることが多いとおいらは思うっぱがの(w・

当事者の責とやらこの後どうするんだい?

やれやれじじくさい話っぱ