昼下がりのかっぱ~ちと哲学風にいこうっぱ♪~

15:29

著者: かっぱ

いつも何かやってるかっぱだっぱが(・×・

ちょいと予想外の暇が出来た故、ちと日頃と違うことでもするかのぅ・・

日頃、人の観察をしてることが多いっぱが 人が気にもならない事もあるっぱ

なのでとりとめないことでもかいてみようっぱ

人の100年を見るに思うところがあるっぱ

人はなぜ、引きつけられるのか?

引きつけられる力が差ほど個体差が無いのに極端な差が生まれるのか?

そして、なぜ疑いを持たないのか?

集団を維持する個となりえるのか?

身近なことであれば、宗教であり、会社であり、学校であり、司法(政治)体系の一部である事。

宗教であれば、「信仰対象」と「宗教の中での論理」

会社であれば、「上下関係」と「会社の中での論理」

学校であれば、「師弟関係」と「学校の中での論理」

司法であれば、「司法拘束」と「司法の範囲内での論理(法律や憲法だね)」

司法という言い方をすると分かりにくいなら、国と思えばよい。

決めつけられたルールが国という柵の範囲の中で適応される事になっているルール。

人と呼ばれる者達は、「なにかに縛られる事」の中に生まれ、その枠の外に出ることがあり得ない者達と言える。

そして、各種の論理で一番自身が、縛られうる力の中でもっとも強い、方向性、「流れ」というものに押し流されていく。

何事も、「縛られること」「流れ」この二つの定義の最大値に近い所へ進んでいる。

どんな、「縛られること」に対して反対の流れが働いても、それが最期の時になる事は、

あっても、「方向が変わる」事が無い点も重要だと言える。

「方向が変わった」ふりをするのは、人という生き物の特有のものだと感じるところっぱ

例えて言えば、池に清流と廃棄油捨てても、最期の時まで無くなるものではないと、そういうことっぱ

最初の話しにもどそうっぱ

>人はなぜ、引きつけられるのか?

>引きつけられる力が差ほど個体差が無いのに極端な差が生まれるのか?

「流れ」に組みするものを欲するから 流れに「縛られること」への欲求もある

>そして、なぜ疑いを持たないのか?

「流れ」に組みするものを欲するから 流れに「縛られ続けること」を求める

>集団を維持する個となりえるのか?

人の世界には、個は存在しないらしいっぱ

物事を、置き換えてみる、観点があるならば、願わくば・・・

なんてのぅ(w・ わるいじょうだんっぱよ♪